1952-02-13 第13回国会 衆議院 文部委員会 第5号
それで支那文学を説く勇気をたくさん持つておるので、きよう来ておつて音頭を取つておつたのですが、きようはかぜを引いて熱が高いから、言いたいことも言いません。すでに若林君なり庄司君なりから言つた言葉に、私はつけ加える言葉もありません。ないけれども、とにかく今日日本国民を精神的に非常に救つたのは、支那文化、日本の文化です。日本文化を明治維新にやつたときを研究して行くとわかる。
それで支那文学を説く勇気をたくさん持つておるので、きよう来ておつて音頭を取つておつたのですが、きようはかぜを引いて熱が高いから、言いたいことも言いません。すでに若林君なり庄司君なりから言つた言葉に、私はつけ加える言葉もありません。ないけれども、とにかく今日日本国民を精神的に非常に救つたのは、支那文化、日本の文化です。日本文化を明治維新にやつたときを研究して行くとわかる。
しかしながら先生は、後に創作をやめられまして、主として学究生活に入られ、江戸文学、支那文学、宗教文学等々、古典文学の研究に没頭いたされ、その該博なる知識、そのゆたかなる学徳は、まさに入超の域にさえ達せられ、日本においての最も貴重なる文化的存在として、何人もこれを認めない者はなかつたのであります。